山月記(原作:中島敦)

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隴西(ろうせい)地方の李徴(りちょう)という男は博学で知恵もあり天宝の最後の年に若くして官僚試験の合格者として掲示され、江南(こうなん)の役人に任じられた。だが性格は頑固で自尊心が非常に強くコツコツと下積み働きを重ねることを潔いとは思わなかった。
そのことに耐えられず、ほどなく役人を辞めた後、故郷のカク略(かくりゃく)に引きこもり人との交際を絶ちひたすら詩作に没頭した。
下級役人として長く俗悪な田舎上司の前に頭を下げ続けるよりは詩家としての名を死後百年残そうと考えたのである。

しかし詩人としての名声は簡単には上がらない。生活は日を追って苦しくなる。
李徴は次第に焦躁に駆られた。
この頃からその容貌は険しくなり肉は落ち骨が飛び出し眼光のみがやたら鋭く光りかって晴れ晴れしく官僚試験に合格した頃の紅顔の美少年だった趣は何処にも求めようがない。

数年ののち貧窮に耐えられず妻子の衣食のためについに主義を曲げて再び東へ赴き一地方役人の職をいただくことになった。
同時にこれは自分の詩作の営みに半ば絶望したためでもある。

かっての同期たちはすでに遥か高位に進み彼が昔見下して歯牙にもかけなかったその連中の命令を受ける立場になったことが往年の秀才である李徴の自尊心をどんなに傷つけたかは想像に難くない。
彼はふさぎ込んで楽しむことができず突飛な性格はますます抑え難くなった。

一年ののち公用で出張の旅に出かけ汝水川(じょすいがわ)のほとりに宿をとった時ついに発狂した。
ある夜半急に顔色を変えて寝床から起きあがると何か訳の分からぬことを叫びつつそのまま窓から外に飛び下り闇の中へ駆け出した。
彼は二度と戻って来なかった。
付近の山野を捜索しても何の手掛かりもない。
その後李徴がどうなったか知る者は誰もなかった。

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